弥山からずっと変化が続いています。
最近目の前にある景色がとても美しいと感じる瞬間が増えてきました。
私は、前回のワーク後も自分の内観を進めていく中で、最近やっと気が付いたのですが、この10年間内面への旅のワークをしていましたが、外側にずっと居続けたことに気がついたのです。
少し笑ってしまいました。次に何を思ったかと言いますと、私よく頑張ったね、奥さんだったり、子供としてだったり、本当によく頑張りました、という気持ちになりました。そして、同時に先生はなんと忍耐強く接してくださったのだろうか…と。
いま徐々に自分は自分で良いという感覚に入りつつあります。
私は共感性が高く、特に人付き合いの中では相手の気持ちを察してしまいそれを感じて立ち回る癖もずっと持っていましたが、今はその共感性が高いという良さを自分の内側に向けることにしました。自分の感情や感覚に繊細なセンサーを働かせようと。
そして、感情を押し殺す、押し込むということをやめようとしています。
とりあえず、感情を味わう、といっても、あまりにうまく自分の感情のフタをしてしまうため、先ずは肉体のどこに痛みが出ているか、といった観察をし、次に、何に自分が引っかかっているのか見るという作業をしています。
この10年間迦音コミュニティの中でワークに取り組んで、沢山一緒にお参りして、不器用ながらに真面目に取り組んできました。真摯に向き合ってきたからこそ、自分にフィットするものがこれ、というものが分かってきて、でもちょっと自分にフィットしない部分もあって、それが自分の色だと思うようになり、今まで培った迦音ベースのものに、新しい色を探し始めました。
しかし、私があまりに長く迦音だけに関わってきたのでこの新しい取りくみに複雑な感情が湧き出てきます。
何度内観しても、浮いてきます。
先生が迦音は自由だから私が続いている、と以前仰ってくださり、その時は今一つピンと来ていませんでしたが、私が自分の自由人感覚をとりもどした今、すでにお見通しだったのかな、と思ったりもします。
ただ十牛図の講座で全部そこはクリアになるだろうと思っているので、あと数日間最大限この叡智を吸収できるように本をもう一度読み始めました。
不思議ですね、本を読むとき、理解しようとするのではなく感じるように読書するようになりました。そうなると、ぜんぜん今までと違うんですよね。でもそれって昔、それこそ読書少女の時はこの感覚だったな、と。
-Iさま
ご縁に感謝。
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